第14段 横綱白鵬引退

横綱白鵬引退

 通算勝利 1187勝 幕内勝利 1093勝 横綱勝利 899勝 幕内優勝 45回 全勝優勝 16回 横綱在位 84場所
 この数字何だか分かりますか。白鵬が残した数字です。全て歴代1位の数字です。これから先、誰も達成できないだろう前人未踏の記録です。平成の大横綱白鵬が、名古屋場所全勝優勝を花道に、数々の大記録を残してついに土俵を去りました。 2000年、15歳の白鵬は力士を夢見て来日しました。一緒に来日した仲間は、次々に相撲部屋にスカウトされるのに、白鵬だけは声がかかりません。身長175cm、体重60k余りの体では仕方ないですね。しかし相撲の神は彼を見放しませんでした。諦めて帰国する夜ぎりぎりのところで、宮城野部屋への入門が決まりました。 2001年5月夏場所。初めて番付に名が載ります。もちろん序の口です。結果は何と負け越し。後の大横綱の相撲人生が負け越しスタート。相撲の神様も意地悪ですね。 山盛り4杯のご飯を、1リットルの牛乳で流し込む食事を重ねて体を大きくし、辛く厳しい修行に耐え、だんだん力を付けていきます。2004年1月初場所で新十両。その5月夏場所で新入幕。2005年1月初場所で小結。同3月大阪場所で関脇。2006年5月夏場所で大関、しかも初優勝。そして2007年7月名古屋場所でついに横綱に上り詰めました。 今でこそ、相撲の取り口が荒い、と非難されていますが、本来の取り口はそうではありませんでした。鋭い立会いの踏み込みから、左の前まわしを奪い、右も差して組み止め、相手に何もさせずに寄り切る。これが白鵬の相撲でした。誰もが認める横綱らしい品のある相撲でした。 2000年15歳で来日した白鵬も、今年で36歳です。満身相違の体のはずです。土俵で相対する力士は、白鵬よりみな若くて元気です。横綱である以上、負けるわけにはいけません。以前のような取り口で勝つのが難しくなれば、取り口が荒くなってしまうのも仕方ないことです。勝つのは横綱の使命だからです。 6場所休んだ後の今年の名古屋場所。その間、新型コロナに感染し、右膝の手術もしました。万全でない体調をおしての出場。覚悟を持っての出場です。 千秋楽。大関照ノ富士との対戦です。呼び出しが白鵬の名を呼び上げます。白鵬はすぐには上がらず、しばらくの間、土俵に頭をつけていました。土俵の神様に、これまでの感謝と、この一番を無事に取り終える事を、お願いしていたのかも知れません。全勝優勝はきっと土俵の神様からのご褒美でしょう。 土俵を去る時がついにやって来ました。これだけの記録を残した大横綱です。相撲協会も、「ご苦労さま。ありがとう。」という態度で臨むかと思っていたら、何と白鵬に対する、いじめとしか思えないような態度言動にでます。取り口、審判に対する態度、土俵外での振舞いを問題に上げ、年寄株取得や親方になるのに条件を付けるという、前代未聞の行為に出ました。 八百長や賭博、暴力事件などで、相撲界に不祥事が起きた時には、白鵬が横綱として、一矢面に立ち謝罪し相撲界を救いました。それと比べたら、取り口や土俵外の振る舞いなど小さい小さい。白鵬がどんな思いで横綱として土俵に上がってきたのか、相手の気持ちを思い量る事が出来ない、相撲協会の度量の狭さを、目の当たりにした重いです。 2001年5月夏場所。右膝を怪我しながら優勝した貴乃花に、当時の小泉首相が、賞状を渡しながら貴乃花を褒め称えました。相撲協会が褒め称えないのなら、私一人でも褒め称えたいと思います。「痛みに耐えて、よく頑張った。感動した。」

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